山崎豊子さんの訃報を聞いて
子供の頃に作家山崎豊子さんの白い巨塔をTVで見ても全くよく分からなかった。
主役の田宮二郎さんが自殺したのを覚えてる位でした。
大人になりアパレル会社で働きながら貯金して、夜に仕立ての修行をして、
休みの日に船場辺りの家賃の安めな物件を探しておりました。
そんな時小倉屋山本さんのオーガニックビルを知り、
その考え方の素晴らしさ、格好良さにホンマにびっくりしました。
誠に失礼ながら老舗昆布屋さんがこんなビルを建てる驚きが、この街の誇りにみえて何か格好良かった。
その時に恥ずかしながらあの白い巨塔の作者が、昆布屋小倉屋山本のこいさんが、
山崎豊子さんであることを知りました。
そんなこんなで半年位物件を探しながら、その凄いビルの一本北になる
難波神社の南前の七坪位の物件を決めました。
店を出してから暫くしてこのエリアは話題のスポットになりました。
街関連で沢山取材を受けたり、NHKの番組になったこともありました。
で一方でこの街は船場商人の街であることも思い知らされました。
まさに山崎さんの初期の暖簾、花のれん、の作品の世界観が初めて少しだけ分かりました。
この街に今でも住んで居られる高齢者や顔役の方と話すと、
たまに小倉屋山本社長や山崎豊子さんの話になります。
少し試されていると思い、意識して山崎作品を読むこともあったりで、すぐに作品の虜になりました。
この街で開店してもう少しで20年になりますが、やはり私も影響されております。
山崎豊子さんの訃報を聞いて