例の制服のジャケット&パンツ その2
まずオリンピックの開会式で着用されているものには大きく分けて2つがあります。
1つは国民服、人民服などのその国民の正装及び平服とされている服です。
2つ目は西洋式正装及びそれに準ずる形の略礼型のジャケット&パンツのいわゆる制服です。
何故オリンピックの式典においてそういう服を着るのか?ですが
世界平和と国々単位での相互理解というテーマを基にした服装と考えた時に、まず国単位で服装を合わせて何処の国の選手であるか分かるようにする。
ということが大前提になりますから国単位で服装を決める必要があります。
次に参加する各国の方々に対して誠意や敬意を払うということを考える服装
つまりマナーを前提にした服装が重要となりますので、服装からはじまり礼儀作法なども尽くすことが重要なのです。だから制服が必要とされるという考えになります。
詳しい正装や制服について、もし皆様がお知りになりたければ、紳士服「かたち」と「こころ」というタイトルの川渕勉氏の本などはとても参考になるでしょう。
また日本について考えると、明治の初めから西洋式の洋服を採用し、それから140年以上も英国を発端とする西洋式の正装及び制服が依然として続いていますから現在でも同じく考えるべきでしょう。
オリンピックという「国際社会」のイベントとして考えるならば、晴れの舞台の開会式で、コシバキ選手はちゃんとした服装をして出席すればそれはそれで良かったと私は思います。
仮にコシバキ選手の意志では出席が無理だとしても、総理や国のトップが日本の団長に伝言でも、メディアを通してでも良いから「正当な着方で開会式に参加すべし」と彼にそれを伝えられたらその選手は参加出来たし、ちゃんとした服装をしていたのではないでしょうか?
こんな話で、オリンピックに政治が介入とかゲスな話は抜きにして…またひょっとしたらそんなこと言ってたら総理の人気が上がったんじゃないかな?…というゲスな話で話題をそらしてスイマセン(笑)
ただここでジェントルマンシップを実行することで、リーダーシップを国民は感じれた可能性はあるような気がします。
正装というキーワードで一番大切なことはジェントルマンシップであり、これに近い事項で言うと、子供の間違った服装を親が注意してそれを正すということです。
オリンピック後に総理がメダルを取った人と正式に対話することも大事ですが、そんなアドリブのきいた服装アドバイスがあっても良いことだと思うのです。
もっと言うと空港で注意しきれなかった仲間の選手団様やその役員様、カメラで撮りつつネタにしたマスコミ様
勇気はかなりいることかもしれないけど、同じ国の人間だったらカメラ撮ってスルーするだけじゃ少し冷たいというか、淋しいことなんじゃないかなと?
確かにコシバキ選手はちょっと口悪そうで、怖そうだけど~少しの勇気があれば何か指摘してあげても…とおもいます。その勇気ある発言はジェントルマンシップです。
ただ彼のその後のマスコミに対する言動が悪かったので…それでマスコミ様や国民の気を悪くしたのは間違いないでしょう。
でもだからといって競技前の選手を攻撃するのも多少意地悪な気も致します。この辺りはまたその3の部分で…
もし仮に空港でコシバキ選手を見て絶句した外国人や外国人記者が居たとしたら、それはやはり誠に残念な話ですし、後の祭りかもしれないけど、事実は事実として前向きに考慮して、本番の式典には失敗せぬようにということで、彼には厳重注意で良かったのではないでしょうか?
次にオリンピックに必要な理由以外の国内的な目線での制服論を考えていきます。
事件が大きくなったポイントはまさにココなんでしょう。
そしてまた新たに私的な視点で制服を製作する側からもこの件を考えていきたいと思います。
その2終わり
3に続く