皆さんへ
ガンバに在籍したこの6年間の思い出は尽きません。
2007年、チーム始動日の記憶までしっかり覚えています。
当時、樫切山付近に住んでいた自分は歩いて練習場に向かうと、後ろから現れた車の運転手に「乗れよ」と声を掛けられました。その声の主はノリさん(實好さん)でした。
冬だったこともあり、そして練習初日という事もあって、気合い入れてリップクリームを塗りまくって行ったら、
ノリさんが俺の顔を見るなり…「唇、どうしたん⁉」と、物凄いスピードで言ってきました。
これが大阪のツッコミかと、痛感した瞬間でもありました。その後、大阪のおばちゃんの洗礼にあったのはこ存知の通りです。
ガンバでのデビュー戦は、その年のゼロックス杯でした。数分しか出場してないけど、プロに入って始めて獲ったタイトルでした。
その時、自分は日本のトップレベルのクラブに来たんだと実感し、感動したのを覚えています。
という事はもちろん、クラブ内でのポジション争いも激しいものでした。
ましてや、実績も経験もない自分にチャンスなどそう多くは回ってきません。でも、代表組がごっそり抜けるナビスコ杯だけにはチャンスがありました。
準々決勝の浦和戦は数あるターニングポイントのひとつだったと思います。
結果を残さなきゃ、このチームにはいられないのはわかってましたから。
大きな勝利を手にしたとき、ホッとしまくったのをめちゃくちゃ覚えています。
決勝には出れなかったけど、あの優勝は本当に嬉しかったです。
その年、試合になかなか出れない自分にいつも声を掛け勇気をくれたサポーターの方々には感謝しています。ハーフタイム、ゴール裏からの「ナカザワー!」という、罵声みたいな声も忘れません(^-^)
毎試合、掲げてくれた大段幕やプラカードも忘れません。
翌年から試合に出るようになったけど、そこでも皆さんのサポートがなかったら、自分を出し続けるのは難しかったと思います。勝つことが義務付けられ、チームに与えられた勝たなくてはならない使命感が自分をより強くしてくれました。
その分、ブーイングも野次もきつかったな…
そして、その年のアジアチャンピオンズリーグの準決勝浦和戦は最も印象に残っている一戦かもしれません。
アジアを獲った時、初めてガンバ大阪にやっと何かをもたらせたんじゃないかと、嬉しくて嬉しくてしょうがなかったです。
その後も、クラブと共に成長させてもらいました。
他にもタイトルを獲得しましたが、取れなかった悔しい思い出も同じように強く残っています。
ACLベスト16で負けたこと。
リーグ優勝という大きな目標を達成できなかったこと。最後の元旦の試合、
ピッチに立てなかったこと。そして、降格させたこと。
屈辱や敗戦は絶対に忘れてはいけません。特に降格させたことは、これから先もずっと自分の胸に残し続けます。
その思いをさせてもらったのも、ポジションを任せられ試合に出させてもらったからです。
何度でも言います。自分はこのクラブに今まで出来なかった、様々な経験をさせてもらいました。
これは僕の一生の宝です。絶対に忘れません。
このタイミングで移籍することは正直、悩みに悩みました。まだ寂しさやいろんな思いがありますが、自分が決断した意志を貫こうと思います。
ガンバに携わる全ての皆さん、6年間本当にありがとうございました!
大阪のおじちゃん、おばちゃん、
ちょっとうるさかったけど、いつも温かく接してくれてありがとう!
では皆さん
おおきに!