播戸竜二 OFFICIAL BLOG

Ryuji Bando [soccer player]

FC Ryukyu / FW /11
Birthday : 1979/8/2
Hometown : Hyogo Japan

2016/04/11

4月11日。

今日は4月11日。

俺にとっては特別な日です。

1998年の今日。

Jリーグ初出場しました。

場所は万博記念競技場。

対戦相手は清水エスパルスでした。


ガンバに入団したての俺の立ち位置は、
練習生というものでした。

今のようなA.B.C契約はなく、
何分でもいいから、
2試合に出ればプロ契約をしてくれる。
という契約をガンバと交わしていました。

というのも、
ガンバはユースから、
稲本潤一、新井場徹というガンバユースの傑作達を上げることを決めており、
人数、お金ともに余裕がなく、
ギリギリでスカウトに発掘して貰った俺と、
ユースから大学に進学することが決まっていた橋本英郎は練習生契約でした。
トレイニー契約と言われていました。

今思っても、
ハングリーの塊でした。

プロになるチャンスは得た。
給料は10万円。

後は自分次第。

実家から電車と自転車を乗り継ぎ、
お母さんにお弁当を作って貰って、
洗濯、掃除のおばちゃんと一緒に食べていました。(笑)

当時のガンバには、
寮もお昼ゴハンもなく、
10万円の大半は電車の定期代に消えました。

お昼ゴハンを先輩達と食べに行く余裕もなく、
お母さんが朝早くに起きてお弁当を作ってくれました。

10時からの練習でも、
6時過ぎに実家を出てたから、
お母さんには感謝の気持ちでいっぱいです。
もちろんお父さんも。(笑)

そんな毎日は最高に幸せでした!

昔から大好きだったガンバに入れ、
プロになるチャンスを貰った。

松波正信さんが一番に声をかけてくれ、
優しくしてくれた事がどれだけ嬉しかったか。

それからは、練習に来た選手達には、
常に声をかけ、優しくしようと心がけています。

船越優蔵さん、古河裕次さんには、
午後練習で、次の日が朝練習の時は、
家に泊めて貰いました。

今でもその恩は忘れてないし、
一生感謝し続けると思います。


当時のガンバは、
トップとサテライトが明確に分かれており、
練習場所や時間も違いました。

毎日必死で練習して、
サテライトリーグで点を取る。

それを繰り返していた俺は、
遂にチャンスを貰いました。

1998年はフランスワールドカップがあり、
それに出場する為に調整していた、
パトリック・エムボマは、
ことあるごとに練習を回避し、
試合も回避する事が増えていました。

そこで目をつけられたのが、
サテライトリーグで得点を量産していた、
播戸竜二でした。

4月10日の15時くらいに、
三ノ宮のガード下で、
服を買えないので見物してた俺に、
マネージャーから連絡がありました。

明日のメンバーに入る。

あの時の気持ちは、
まさに天にも昇るっていうのは、
こういうことなんや。って感じ。(笑)

それから試合に出場するまでの気持ちは、
覚えてないね。

そして、出場。
相手は清水エスパルス。
たしか、負けてたね。

当時のコンシリア監督に呼ばれ、
遂に出場のチャンス。

絶対爪痕を残す!

次に繋げる!

それしか考えてなかったね。

出場すると、
とりあえずガムシャラにボールを追い、
走りまくった。

周りの声は耳に入らなかった。

スルーパスが出た!
チャンス!キーパーの真田さんが出てきたけど、かまわずスライディング!

ピー!審判が走ってきてイエローカード!

澤登さんや斎藤トシさんが走ってきて、
俺の胸を小突く。
悪いとはわかってても、
18歳の播戸少年は突っかかる。(笑)

こうして俺の初出場は終わり、
イエローという爪痕を残した。(笑)

試合は負けたけど、
あと1試合出ればプロ契約を勝ち取れる。

それしか考えてなかったね。

確か、次の週の浦和戦で2試合目を達成したんかな。

それからはあんまり覚えてない。

でも初出場の時の気持ちと記憶だけは、
永遠に忘れないと思う。

それが18年前の播戸竜二です。


今と同じ気持ちがあるかと言われれば、
おそらくないやろうね。

いろいろな経験をし、
いろいろなことを感じてきたから。

変わるのは嫌やし、
変わりたくない自分がいるけど、
変わっていくのはしょうがないし、
変わっていくのを受け入れないといけない。

それが大人になるっていうことなんかな?

出来れば大人になんてなりたくないけど、
なってしまってるね。(笑)

だからこそ、
一瞬一瞬を生きないといけないんやろうね。

同じ気持ち、
同じ状況っていうのは、
二度とないから。

今にしても、今しかないし、
18年後には、懐かしく思うんやろうね。


ちょっと長くなったけど、
そんなことを青山のオープンテラスで書いています。

18年前に青山っていう場所も、
オープンテラスってことも知らんかったと思うけどね。(笑)

今ある状況を受け入れ進んでいきたい。

今は今。

今しかないから。

過去は過去で素晴らしいけど、

過ぎたものやから。

思い出すのはいいけど、

振り返らない。

今が未来に繋がる。

未来は自分次第。


こうやって考えたり出来る今を大切に。


日本人男性の平均年齢は86歳。

あと、50年かー。

長いようであっという間なんやろうね。

俺の旅はまだまだ続くし、
また昔のことをゆっくり書きたい。

思い出しただけで胸が熱くなる昔の自分。

昔から播戸竜二はカッコイイねー。


しっかり昔のことをこうやって書くのは初めてかな。

なんかそんなタイミングなんやろうね。

なんかそんなタイミング。

これって凄く重要やね。


一応みんなが読むから、
見直しはするけど、
誤字脱字があってもいいから、
出来ればこのまま更新したいね。


これがリアルな18年前の播戸竜二の物語。

次の物語を書くなら、
ナイジェリアのワールドユースかな?
コンサドーレ札幌への移籍話かな?

まだまだいろいろあるからね。

ただ、時間がかかるし、
気持ちがのるかやね。

こうやって書くことを仕事にしてる人は、
やっぱり凄いね。

さぁ、終わり。

今日はええ天気やわー。


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