仲西淳 OFFICIAL BLOG [All Eyez On J]

Jun Nakanishi [basketball player]

Tokyo Cinq Rêves / SG /1
Birthday : 1982/7/7
Hometown : Tokyo Japan

2017/08/17

ご報告

ご報告があります。 I have an announcement to make. English follows after Japanese below.

私仲西淳はこの度プロバスケットボール選手として現役を引退することになりました。12年間という選手生活でしたが、今まで本当に沢山の方々に支えらここまでやってこれたと思います。35歳体の限界ではありませんが、ここが引き際かなと家族と相談してたどり着いた決断です。2005年にbjリーグ東京アパッチにドラフトされ入ったプロの世界。当時まだアメリカ留学していた自分に声をかけてくださった山田社長を始め、プロの厳しさやあり方を教えてくれたジョーブライアントヘッドコーチには本当に心から感謝しています。まだまだ若かった自分に可能性を感じてくださり、プロの入りきっかけを作っていただきました。ありがとうございました。

地元東京でプロのキャリアをスタートできた事は何より誇りでしたし、当時あのどこにも無い異色の雰囲気を持つ個性軍団を率いて紫のユニフォームでプレイできた事は自分の財産です。今は無くなってしまったけど、あの伝説のチームは自分を始め沢山のファンの方々の心の中にあり続けると思います。ありがとう東京アパッチ、そしてブースターの皆さん。

2007年には地元東京を離れ、福岡に移籍する決意をしました。東京を離れるのは苦渋の決断でしたが、その当時のアパッチの吉田社長が”大きくなって東京に帰って来いと”背中を押してくださったのを今でも覚えています。またその当時すぐに声をかけてくださったライジング福岡の山村GM本当にありがとうございました。ライジング福岡との出会いが自分のバスケットボールのキャリアだけではなく、自分の人生を大きく変えてくれました。
新チームでスタートしたシーズン開幕すぐに前十字断裂という大きな怪我をし、シーズンを棒に振りました。その時一度引退しようかと考えましたが、本当に沢山の人たちの支えがあり復帰する事ができました。

2008年に約一年のリハビリを経てコートに復帰するも大阪へトレード。怪我明けの自分に当初bjリーグ3連覇した大阪エヴェッサの天日ヘッドコーチ&比嘉ACから声をかけていただいたのは自分のバスケキャリアを大きく変えてくれました。チームの環境面やプロ意識は当時トップレベルで、そういう中でプレイできた事、またbjリーグファイナルに進出し優勝まであと一歩までの所で負けた悔しさは今後の人生で忘れる事はないでしょう。

そして再び戻ってきた福岡。そこから4年福岡で過ごす事になりますが、本当に福岡が自分にとって大切な場所になったのはこの時でした。
最高の仲間達と再びbjリーグファイナルに進出し、またもや決勝の舞台で敗退。優勝する事がここまで遠いのか感じさせられたシーズンであり、何よりも最高の仲間達と築き上げた最高のシーズンでした。

岩手でも素晴らしい経験をさせて頂く事ができました。桶谷HCの一言で決めた岩手への移籍。家族でチャレンジした年でした。震災から復興しようとしている街でプレイできた事は自分にとって大きな意味を持ちますし、人としても本当に成長させてもらったシーズンだったと思います。"All For Iwate"全てを岩手の為にプレイし、19連勝というbjリーグの連勝記録を塗り替え、チーム設立初めて有明に進出できた事は自分でも誇りに思えるシーズンでした。何よりも震災に負けず前を向いて生き続ける人々に沢山の勇気をいただきました。素晴らしい一年をありがとうございました。

そして自分自身の最後のシーズンになった昨シーズン。自分のキャリアをスタートさせて東京でプレイできる事ができました。チーム名は違うけども東京サンレーヴスとして紫のユニフォームを来て地元東京でプレイできた事が誇りです。自分なりに最初東京でプレイした時よりを大きく成長して帰って来れたのかと思います。シーズン途中で山形に移籍する事になりましたが、今こうやって振り返ると最後に東京でプレイするように最初からなっていたのかなと思います。
事実上キャリア最後のチームとなった山形ですが、数ヶ月間という短い時間にも関わらず自分を求めてくれました。チーム最年長として若手と切磋琢磨できましたし、バトンを渡す事ができなのではないかと思います。

こうやって振り返って見ると長かったようであっという間に過ぎていった12年間でした。マイケルジョーダンに憧れ15歳で単身で渡米し、そこからバスケットボール人生が変わりました。特別な物を持っていなかった自分がアメリカの中で揉まれてプロで12年間プレイ出来たのは誰にも負けないバスケットボールに対する情熱があったからこそですし、バスケットボールを通して出会った沢山の方々に支えられたこそです。

最後になりますが、長い間バスケットボールという激しい競技を続けられる身体に産んでくれた母親に感謝したいです。またけして裕福な家庭ではなかったのにアメリカ渡米という決断も許してくれて、サポートしてくれたのも母親と兄でした。本当に今までありがとう。

そして自分の家族。3人の子供達にプロバスケ選手としての親父の背中を見せれて本当に幸せでした。試合に勝った喜びも負けた悔しさも全て一緒に共有出来た事、そしてどんな時も一番側で応援してサポートしてくれた事を心から感謝しています。ありがとう。

プロ生活はこれで終わりますが、仲西淳としてこれからも自分らしく、自分にしか出来ない事を追求してこれからの人生を送ります。今まで応援してくださり本当にありがとうございました!皆さんとの出会いは自分の宝物です。これからもバスケットボールに感謝し続け、愛し続けたいと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございます。また会える日まで。

2017年8月17日
仲西淳

 
I have decided to retire from professional basketball. Sure it wasn't a easy decision to make but I have positively decided to move onto the next stage of my career.
Through my 12 years of my professional basketball career I have met a lot of people who had a strong impact in my life. I would like to take this moment to thank all of my teammates, rivals,coaches and staffs for motivating me to work hard to get to where I am at. Y'all gave me a reason to grind and compete out there on the court, Also I would like to thank all my friends, fans and sponsors for sticking with me for 12 long years and supporting me no matter what.Most importantly, I want to thank my family for believing me and making everything possible for me to pursuit my basketball career. I'm so proud myself being a role model for my 3 children that someday they will find something that they truly have passion for.

You won't see me in a uniform but I will continue loving the game of basketball.

Thank you once again for being a big part of my basketball career.

I'm planning to make big things happen in the near future so I hope to keep all of you informed on that. Please wish me luck.

Thank you so much for reading.

Jun Nakanishi