日本サッカーの父。
日本サッカーの父と呼ばれたディトマール・クラマーさんが、90歳で永眠されました。
日本サッカーの礎を築いてくださった偉大な方であり、日本の指導者を辿ると必ず最後はクラマーさんに行き着くのではないかと言われるほど。
もちろん日本とドイツのサッカー界で生きるボクにとっては、当然特別な存在でして。
そんなクラマーさんとの思い出を少し紹介します。
今から1年半前、福岡で開催されているクラマー杯という大会のために、クラマーさんが来日され、光栄なことにそこで通訳をさせていただいたんです。
たった4日間でしたが、様々なインスピレーションを受けました。
中でも、当時89歳にして、
「私は今ももっと成長したいと思っている」
とおっしゃっていたことには衝撃を受けました。
また、体調に気を使う周りの人たちに感謝しつつ、
「自分は指導のために日本に来た。気を使ってくれるのは嬉しいが、もっとグラウンドに立たせてくれ」
という発言には、頭が下がりました。
夜のレセプションに向けて、一度お部屋に戻り休んでいただいたときも、来場者のために1枚1枚丁寧にサインカードにサインを書き続け、お休みされることはありませんでした。
レセプションでは、多くの方々との写真撮影に応じていましたが、もはやご自分一人では立っていられない状態に。
それでも用意された椅子には座らず、
「みなさんが立っているのに座るのは失礼」
と、奥様に支えられながら、すべての撮影に対応されている姿には感銘を受けました。
そんなクラマーさんは、自分の体調をよく理解した上で、
「これが最後の海外旅行になるだろう。だから最後は日本を選んだんだ。日本は私にとって第二の祖国だから」
とおっしゃっていました。
そんな機会に通訳を務めさせていただけたことは本当に光栄なことであり、そして掛け替えのない経験となったことは言うまでもありません。
「サッカーは子供を大人にし、大人を紳士にする」
というクラマーさんの有名な言葉がありますが、実際にそれをクラマーさんの口から聞く機会もありました。
そんな言葉も含めて、上記のような話を、すべてドイツ語で伺うことが出来たこと。
通訳を介してではなく、ご本人のお言葉を理解することが出来たことは、ドイツ語習得して本当に良かったと感じる機会となりました。
ちなみに、おそらくドイツ語が分からない方は誰も知らないことですが、クラマーさんは誰と喋るときも、常に敬語を使われていました。
それはボクに対してもです。
ドイツと日本をまたにかけて仕事をしているボクにとっては、クラマーさんは日独を繋いだまさにパイオニアな存在。
「Machen Sie weiter(これからも続けていってください)」
その言葉を胸に、受け取ったバトンを持って、これからもしっかりと続けていきます。
クラマーさんのご冥福を心よりお祈り申しあげます。
「頑張るときはいつも今」