播戸竜二 OFFICIAL BLOG

Ryuji Bando [soccer player]

FC Ryukyu / FW /11
Birthday : 1979/8/2
Hometown : Hyogo Japan

2018/11/21

秋の香り。


沖縄には秋は無い。

というか、今が秋なのか?

っていうくらい暖かい。
沖縄は最高。

そう感じる毎日です。




藤川孝幸さんが亡くなった。

ヴィッセル時代に、
選手とキーパーコーチとしてお世話になり、何かあれば時々連絡を取り合っていた。

今年の4月くらいにニュースが出た時も連絡したら大丈夫という声が聞けたし、
必ず治すっていう気持ちが伝わった。

カズさんもそうやけど、
昔の読売の人達のメンタリティは凄く、
当時のヴィッセルには、
監督の川勝さん、コーチの森さん、
藤川さん、選手でカズさん、ヤッさん、
山口タカさん、スガ、ヤブ、サエなんかもいて、とにかく読売感が凄かった。


ヴェルディじゃなく読売。


そのメンタリティは勉強になったし、
技術やボールを繋ぐのが上手いと言われた中で、やっぱり1番はメンタリティの強さなんだと思った事を覚えている。

藤川さんにもそれは常に感じ、
いつも自分に厳しく、何かあれば声を上げて、クラブにも物申していた。

そんな読売の人達や、
藤川さんの事が大好きやった。


読売とは全く関係ないけど、
その魂は受け継いでると思っているし、
それを継承していかないといけないと思う。


今の子達は、
間違いなく上手くなってる。

でも、昔の選手達の方が、
間違いなく強い。

それは人間として。

サッカーにおいて、
人生において、

間違いなく大事なのはソレ。



十勝にチームを作り、
まだまだたくさんやりたい事があったと思う。

いろいろ無念だったと思う。


ご家族にはお悔やみの言葉しかありませんが、藤川さんの魂は、しっかり継承していきます。


Jリーグ創成期に、
いろいろな足跡を残してくれた、
サッカー界のレジェンドです。


こういうレジェンドが亡くなった時、
どういうリアクションが出来るかが、
これからのJリーグに求められると思います。


読売がやるのか?
ヴェルディなのか?


クラブはもちろんのこと、
リーグとして何かをやっていくべきだと、俺は思います。


今あるJリーグは、
たくさんの人達の足跡の上にあると思います。


その足跡を讃える事は、
本人よりも家族にとってかけがえのないモノになると思います。


そんなJリーグになる事を、
切に願います。



藤川孝幸さん
ありがとうございました。
そして、お疲れ様でした。



播戸竜二

2018/11/17

ひと段落。


優勝から2週間過ぎました。

この間にいろいろな人がお祝いしてくれ、毎日幸せな日を過ごしています。

幸せな日は大事やけど、
このままではいけないという気持ちが少しずつ湧いてきています。

1年間戦い続けて、
その対価として優勝し、
お祝いが続く。

と同時に、
もう次へのスタートは始まっている。

来年はJ2。

そんなに簡単じゃない。

資本が大きく、
経験も多いクラブ、
選手がわんさかいるリーグ。

自分自身の今後は未定。

プロ選手は契約で、
来年の事は常にわからない。

自分で決められる仕事ではない。

あくまで評価され、
必要だと思われた時に契約される。

と同時に、
必要とされたとしても、
自分の心が動かないと契約をしない。

そんなところで21年間働いてきた。

こういうスタイルがどうなのか?

よく厳しい世界で働いていると言われるが、これ以外に経験した事がないので、
よくわからない。

でも、
わかりやすくはある。


良ければ契約。

悪ければさよなら。



先週のセレッソU23戦。

結果的には0-6。

優勝したのに、
何をやってる?

って怒られるような結果。


けど、
難しさがある事も書いておきたい。

優勝を目標にやってきて、
それを果たした後のゲーム、
これはなかなかハードです。

しかも新しい選手達がたくさん出て、
相手もJ1の金の卵。
優勝したチームに一泡吹かせてやろう!

って言うのが重なり合い、
こんな大敗をしてしまった。

ただ、
厳しく言わないといけない点もある。

優勝、人が違う、相手がどう、
というのはいろいろあるけど、

その試合に自分の全てを出す。

自分が生き残る為に、
目の前の敵を殺すくらいの覚悟でやっていたか?

それが重要だと思う。

そして、
それはやっていた本人達が1番わかっている事だと思う。



今週は試合がなく、
来週にはホーム最終戦がある。

偉大なキーパー、
川口能活のラストゲームの1つ前。

FC琉球として、
川口能活さんをどう送るのか、
これはクラブとして考えてもいいと思う。

能活さんとは、
代表に入り仲良くなり、
一緒に自主トレしたり、
一緒に同じ治療院に通ったりする仲。

最初仲良くなった時は、
あの川口能活が仲良くしてくれてる!
ってちょっと興奮したくらい。(笑)

今年もいろいろ話していた。

なんせ、あれくらいの経験の人が、
試合出場を目指してJ3に行くというのは、当時としては衝撃的やったし、自分がFC琉球で挑戦することを決めた時も、能活さんもやっているっていうのが、
心のどこかにあったと思う。

だから、
あの記者会見を見て、
あれだけの人が集まり、
俺は本当に感動した。

選手としての今じゃなく、
川口能活としてあれだけの人が集まり、
話を聞きたいと思ったというのは、
本当に素晴らしいと思うし、
日本サッカーが少しずつ成長している証だと思う。


引退を発表した後、
少し能活さんと話したけど、

『このJ3の3年間は、
プロとしてサッカーをやってきた中で、
1番多くを学んだ時間だった。』

これこそが川口能活で、
この言葉を言える川口能活を俺は好きやと思った。

この言葉は、
この1年の俺にも当てはまるし、
それを3年間やり続けた川口能活は、
やっぱり本当に大きい男で、
そりゃ誰からも愛されるわって思った。


これからの能活さんが本当に楽しみやし、また新しい道を、俺ら後輩に見せて欲しい。



こんな時にいつも思うのは、
キングカズ。
やっぱ半端ないなぁー!

バッジォに後押しされ、
まだまだやめへんやん!(笑)

しかもJ1上がりそうやん!
って事。


そして、そこには南 雄太がいて、
満男とソガがアジアで勝って、
ヤットも試合出まくってて、
結局、コイツらに負けたくないっていう気持ちになり、もっと上手くなりたい。
もっといろいろやらな!って気持ちになる。

そんな仲間がいる事を幸せに思い、
今日も練習頑張ります!


今日は読谷村。
ちょっと遠いね。(汗)

58号線に沖縄を感じながら、
半袖半パンサンダルの、
ウチナンチュスタイルでいきますか!


banビーノ



2018/11/07

J3優勝!


ちょっと遅くなってしまいました。

インスタは更新したけど、
ブログはまだやったね。

同じ事を書いても面白くないよね?

インスタを見てない人もいるやろうから、同じように書こうとも思うけど、
2回目書くのはなかなかキツいね。

だから、
思った感じを、
ダラダラと書きます。


去年の年末、
大宮を満了になり、
母親を亡くした事もあり、

サッカーの事をしっかり考える時間が無かった。

それくらい母親の存在は大きくて、
18歳に家を出てたけど、
精神的にはずっと近くにいた。

母親とは性格も似ていて、
大好きな大好きな存在やったから、

いろいろな事を整理するのに時間が必要やった。

そんな中、
大宮との契約も満了になり、

なんか、いろいろポッかりと穴が空いた。

その穴を埋める作業がまず先決やったけど、いろいろな穴が空いたまま、月日が過ぎていった。

サッカーを辞めるべきか、
続けるべきかを考えるまでに至らなかった。

いろいろな死は経験してきたけど、
自分を産んでくれた人がいなくなるっていうのは、想像していた以上にハードで、自分の中でどれだけ存在が大きかったのかと、改めて感じた。

悪い事は続くとは良く言うけど、
あれ以上にヘビーな事は、
人生においてもうあるのか?
っていうくらい、気持ちは落ちてた。

そんな中で、
次の事も考えないといけない。

考えようと思っても考えられない。

そんな日々が続いた。


続けるっていう覚悟のないまま、
いろいろなチームに話をしたけど、
怪我も多かったし、試合にも出てない、
38歳にオファーをくれるチームなんて無かった。

まぁ、当たり前よね。

あったとしても、
じゃあそこでやります!
ってそんな気にはなれなかったし、
空いた穴は、ずっと空きっぱなしで、
一生埋まる事は無いって感じてた。


それでも毎日は過ぎていくし、
いろいろな事に対応しないといけない。

正直、今はその時の事を覚えてない。


FC琉球の社長は、
大宮の話が無いってなった時に、
どうですか?って言ってくれたけど、

J3でやるっていうイメージは無かったし、沖縄に住むっていうイメージは、
もっと無かった。

家族もダメージを受けてたし、
長男としては近くにいたいっていう気持ちがあった。

沖縄に行くと、
何かあった時に直ぐに行けない。

漠然とそんな思いがあった。

条件もいい訳ない。(笑)

J3やし、それはそうやけど、
プロ選手としての評価って、
やっぱりサラリーやと思う。

そんな事をいろいろ考えながら、
月日だけが経っていった。


ある日目覚めたら、
サッカーをやろう!
って思ったり、

次の日目覚めたら、
やっぱり辞めよう。

そんな毎日やったから、
決める事は出来ひんかった。


近い周りの人達は、
まだやって欲しいって言ってくれてたけど、俺の中での踏ん切りは全然つかへんかった。


そんな感じで年が明け、
プロ選手として20年やってきて、
21年目のシーズンは、
初めての年越しやった。

次が決まらない中で、
年を越すっていろいろキツいし、
いろいろな事を冷静に考えれなくなる。

いろいろな選手のそんな時を見てきたけど、いざ自分がその立場になると、いろいろな事を感じなぁ〜って思った。

やっぱりいろいろな経験って大事なんやな。こうやっていま経験してる事も、後になったら良かったって思えるかも。
イヤ、思わなあかん。思えるようにせなあかん。


そうやって段々、ちょっとずつ気持ちが前向きになって、いろいろな事を考えれるようになり、感じるようになってきた。


自分としてはどうしたいのか?
どうするのがいいのかは、
頭が考える事で、
どうしたいのか?
サッカーがやりたいのか?
次に行きたいのか?
次は何がしたいのか?

そんな事を考えて行く中で、
やっぱりサッカーがしたい。

怪我が増えて、
楽しくサッカーができないんじゃなく、
楽しくサッカーをやって終わりたい。

そんな思いが出てきて、
それやったら、どんなカテゴリーでも、
どんなサラリーでもやるしかないなって思えてきた。

ただ、頭では辞めた方が良いってなってたから、カラダはあんまり反応しなかった。

リミットは無かったけど、
あんまり引っ張り過ぎるのは、
FC琉球に失礼やったから、

いろいろな事を加味した最終的な決断は出来てなかったけど、ココロに素直にしたがって、思い切って行く事に決めた。

それも、勢いで、
社長に電話して、
行きます。って。


それからは、
もう言ったからにはやるしか無い。


それだけやったね。


1月20日に来てからも、
帰ろう。やっぱり辞めようって、
何回も思ったし、帰ろうともした。
22日の記者会見をやるまでは、
誰も知らないから反故にしても大丈夫。
なんて、めちゃくちゃな事を考えてた。

それが本心で、
その時の本当の気持ち。

それくらい、
俺はボロボロやった。


それからもすぐに気持ちは上向く事は無く、なんでサッカーやってるんやろ?
辞めて帰りたいなぁ。っていう日々が続いたけど、沖縄の気候や景色に癒され、
また明日頑張るかって気持ちになり、
家族のように大事な人達とも出会い、
サッカーの自分というよりは、人生としての自分っていう風に考えれるようになった。


言葉は大事やから、
『J3優勝!』

って最初にブチ上げたし、
実際にそれを目指したけど、

そこだけに向かって進むほど強くは無いし、それを目標とし、拠り所としている部分はあったと思う。

言葉にするとキツくなるけど、
責任が出てくるし、

それが現実となれば、
有言実行って褒められるけど、

出来なくても、
あんまりナンも言われない。

まぁ、セコいっちゃセコいよね。(笑)


生活も安定し、
知り合いも増え、
段々沖縄の生活が楽しくなってきてからは、目標に突っ走ったし、
自分の事よりも、チームとしてどう目標を達成するかっていう事を考えれるようになった。


それからは、
チームとしての道が外れないように、
何かあれば修正するっていう事の繰り返しで、自分のパフォーマンスを上げる事にフォーカスも出来た。


若い頃はチームより自分やったけど、
今は自分よりチーム。

チームが良くなる為に、
全ての事をする。

チームが良くなる為に、
自分のパフォーマンスを上げる。

そんな考え方になり、
それはそれで面白くない。

もっと自分だけのことを考えたい、
考えるべきっていう自分もいるけど、
今の自分は、もうそうならない。

それが経験なのか、
いろいろな角度から見ているのか、
なんなんかはわからへんけど、
とにかくそんな感じっていうのが、
今の自分。

それが好きか、嫌いかなんてわからんけど、とにかくそれが今の自分やから、
その自分で進んでいくしかない。


サッカーを余り知らない沖縄の人に、
サッカーの楽しさや素晴らしさを経験してもらいたい。

経験してもらって、
面白くないならしょうがないけど、
経験しないと面白いかどうかもわからない。

だから、経験してもらえるように、
勝って勝って勝って、
優勝する瞬間を一緒に味わって欲しいと思った。


俺は幸運な事に、
何回もそれを経験させてもらった。


それを今回と照らし合わせると、
優勝できるっていう確信があった。


降格も経験してるけど、
照らし合わせるとやっぱり降格やと思う。


だから、経験って大事やと思う。


数字ではわからない感覚的な事がある。

数字や文言にできるとは思うけど、
ホンマに微妙な、なんとも言えない感覚があるから、それを伝えるのは難しい。


でも、今年は自信があった。

一回りしたくらいからは、
確信になった。

あとは、自分達で崩れない事。

それだけを気をつけた。


そして、その通りになり、
最高の瞬間を過ごせた。


ただ、その時あった満足感ももう無く、
自分もチームも、次どうなのかっていう思いしか無い。


いいのか、悪いのか、
まぁ、それが俺やからしょうがない。


次のステージはJ2。

簡単じゃない。簡単じゃない。


これからこのクラブがどこに向かうのか、どうなりたいか。

俺自身もそう。

どうしたいのか?

どうしたいっていうのはあっても、
サッカーを続けるのは、
自分だけでは決められない。


またいろいろ考える、
いろいろ感じ取る時間になってきたのかもね。


ただ、
気持ちは落ち着いてるし、
深く考え、感じ取れるようにはなってると思うけど、

39歳の、
この時、この気持ちっていうのは、
今しか無くて、
誰も経験してないから、
どうなるのかはわからないね。(笑)


ザッと書いてきたけど、
これが今年のストーリー。


まだシーズンは続くけど、
優勝までのストーリー。

サッカーの観点からいけば、
もっと他のストーリーがあるけど、
ココロの中はこんな感じ。

別にこんなの書くつもりも無かったけど、気づいたら書いてた。

それが今の俺なんやろね。


ホンマは見直しや書き直しをするけど、
今日はお腹いっぱい。

このまま更新します。


最後に言いたいのは、
本当にたくさんの人に支えられてるって思うし、本当に感謝してます。


それは、
今年は特に感じる。


大事な人を亡くし、
またたくさんの事を学んだ。


そうやって人は、
いろいろな事を学んでいくんやろね。


そしてまた、
新しい人生を歩んでいくんやと思う。


気づいたら40歳前、
もうあんまり無いね。
折り返しかもやし、過ぎてるかも。


沖縄に来て、
更に感じる。


人生を楽しもう。


それこそが、俺の人生。





banストーリー。