安田理大 OFFICIAL BLOG
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Michihiro Yasuda [soccer player]

NAGOYA GRAMPUS / DF / 33
Birthday : 1987/12/20
Hometown : Osaka Japan

2008/02/19

俺。

安田理大 5歳。

神戸から大阪に越してきて、引越しの片付けで忙しそうな親に「マンションの公園で遊んできぃ。」とに言われ、公園に兄弟3人で遊びに行った。

その公園ではマンションの子供達が見たことない遊びをやってた。

狭い公園やのに4対4くらいに分かれてボールを足で蹴って楽しそうにはしゃいでた。

お兄ちゃんや弟と「なにしてるんやろなぁ。」という話をしてたら、その初めて見た遊びをやってた同学年くらいの子に声をかけられた。

「ガンバとヴェルディどっち応援する?」

俺ら兄弟はその子が何を言ってるか意味分からんかった。

するとその子に、この遊びはサッカーということ、ガンバとヴェルディはサッカーチーム、ヴェルディは一番強いチーム、ガンバは弱いけど地元のチーム、ということを教えてもらった。

それが俺とサッカー、俺とガンバの初めての出会いやった。

 

子供っていうのはすぐに仲良くなるもの。

気付いたら俺もその中に混じってサッカーばっかりする日々を送ってた。

安田家の門限は18時。

でも夢中でサッカーをして、何回も門限を破り親に怒られた。

しかも服はいつも泥だらけ。

やから安田家では「靴下は風呂のときに自分で洗う。」というルールがいつの間にかできてた。

でも面倒くさくなってよくお父さんに洗ってもらってた。

お父さんは文句も言わず兄弟3人分の靴下を洗ってくれた。

俺は基本的に外でしか遊ばへん子やったから、毎日洗濯大変やったやろうと思う。

しかもほぼ毎日外で遊んでたから、TVゲームっていうもんをやった記憶があんまりない。

おかげで今もTVゲームは苦手やし、できると言ったら人生ゲームくらい。

そんなけ毎日サッカーばっかりやってるやんちゃなくそガキやった。

 

やんちゃといえば、小さい頃はよくいらんことをして、これでもかっていうくらい親に怒られた。

冬には学校の水道が凍って動かんかったから、おもいっきり蹴って水道管を破裂さしたこともあった。

校舎内でサッカーをして窓ガラスもよく割った。

登校してくる生徒に水風船を3階から落として当てたりもした。

理科室からもいろんなもんをパクッた。

給食は隣のクラスのまで食べて、隣のクラスが人数分足りへんときがあった。

下校のときはピンポンダッシュは日課。

学校から盗み出した画鋲を、チャリがよく通るとこに仕掛けたりもした。

友達のポケモンカードのリザードンのカードも無理やり奪ったこともある。

マンションの何階から飛び降りれるかって競ってて、4階から飛び降りたりもした。

他にもいらんことはいっぱいした。

親にはほんま迷惑しかかけてへん。

まぁたまにはいいこともしたけど。笑

何回怒られてもまたいらんことして・・・親もよく嫌にならんかったなぁって思う。

嫌になってたかな!?笑

 

そんなくそ悪ガキやったけど、サッカーだけは毎日ほんま真剣にやってた。

七夕になれば「ガンバに入って、サッカーの日本代表になる。」って毎年書いてたし、友達や先生にもそう言ってた。

Jリーグのガンバのホーム戦も毎回見に行ってた。

 

初めて見に行った試合は大雨の清水エスパルス戦。

ガンバの負け。

そのときに絶対大きくなったらガンバの選手になって清水エスパルスを倒すって思った。

 

13年後の4月1日。

俺のJリーグデビュー戦。

なんと相手は清水エスパルス。

ほんでさらに、ガンバのユニフォームを着て交代を待ってる俺がいた。

83分、2-2同点ていう場面で出場。

絶対勝ちたいって気持ちで全力で走った。

走りに走った。

ほんで86分、俺が良太にパスして、良太が魂のクロスをあげてマグノがシュートをゴールネットに突き刺した。

そんときの気持ちは言葉では上手く表せへんけど、とにかくみんなで喜んだ。

俺は初出場やったから喜び方もなんかギコかったけど、とにかく喜んだ。

そのまま試合は終わって、3ー2で逆転勝ちした。

その夜は興奮してなかなか寝れんかった。

だって俺の夢が一つ叶った日やもん。

 

話は戻り、小学校4年。

俺はガンバジュニアに入った。

そのときのコーチは濱口コーチ(今は静岡学園のコーチ。)といって、サッカーのなにからなにまで、礼儀等全部教えてもらった。

練習もドリブル練習が毎回あって、そのときから俺はドリブル大好きっ子になった。

今流行りのロナウジーニョのエラシコもそのときからしてた。

特にカズさんがやってたシザースというフェイントは大好きでしまくってた。

練習試合ではマラドーナみたいな5人抜きもしたことある。

ちょうどその時期からサッカーが楽しくて楽しくてたまらんくなって、いつか絶対海外のDFをシザースでちんちんに抜いたるって思うようになった。

ってことで濱口コーチが俺の一番の恩師なのは間違いない。

 

小学校5年。

日本中がフランスW杯出場を決めたことで盛り上がってた。

そんな盛り上がってる中、同じマンションの友達のお父さんが、そのときの日本代表の岡田監督と友達で、俺が住んでるマンションにこっそり来るっていう話を聞いた。

もちろん来る当日、岡田監督を一目見ようと会いに行った。

そしてサインをもらった。

岡田監督は「将来は君達がW杯に出るんやぞ。」と言ってた。

 

ほんでフランスW杯開幕。

お母さんは川口選手の大ファンやった。

俺は相馬選手、井原選手、ゴン中山選手のファンやった。

日本は予選敗退したけど、そんときのW杯で闘う日本代表の選手の姿はむっちゃカッコ良かった。

いつか俺も絶対W杯に出るって思った。

 

9年後。

俺は初めて日本代表候補に選ばれた。

選ばれた報告を電話で聞いたときは、気持ちはかなり高ぶってたけど、冷静なフリをして聞いた。

顔はもちろんニヤけてたで。

ほんでなんとまた偶然にも、俺が代表候補に入るタイミングで監督がオシム監督から9年前マンションで会った岡田監督に変わった。

正直自分でもむっちゃビックリして、9年前にあったことを岡田監督に話した。

全然覚えてなかった。笑

 

その他にも、昔お母さんが大ファンやった川口選手とも代表候補合宿で一緒にプレーした。

相馬選手は現役引退して、サッカー解説者になって俺に話しかけてくれた。

井原選手は現役引退して、五輪代表のコーチになって俺にいろんなアドバイスをくれる。

ゴン中山選手はJリーグのピッチで対戦すことができた。

そうやって昔憧れてた選手に会えたりしたときは、ほんまに今までサッカーやってきて良かったなぁって思う。

サッカーはいつも俺に最高の瞬間をもたらしてくれる。

 

そして昨日、2月17日。

サッカーはまた俺に最高の瞬間をもたらしてくれた。

サッカーA代表、東アジア選手権VS北朝鮮。

65分、0-1で負けてる場面で試合に出場した。

緊張はしんかったけ、何故か中澤祐二さんの顔をグラウンドで見たときに、A代表の試合に出たんやって感じがした。

絶対勝つっていう気持ちで走りに走った。

68分、左サイドに得意な形でボールがきた。

迷いはなかった。

っていうか体が勝手に動いた。

昔から大好きやったフェイント、シザースで相手を抜きクロスをあげた。

キーパーが弾いたボールを前田遼一さんが詰めてゴールネットにボールが刺さった。

むっちゃ嬉しくて思わずガッツポーズがでた。

ほんでみんなの元に駆け寄ってみんなで喜んだ。

喜び方もプロっぽかったと思う。笑

その後も必死でゴールに向かったけど、結局0-0で試合は終わった。

ほんまに勝ちたかった。

やからアシストできたのは良かったけど、歯痒さもあった。

次は絶対勝つ!!

 

ホテルに帰って、ご飯も食べて、シャワーも浴びて、寝る用意は完全にできた。

でもなかなか寝れんかった。

試合は同点でほんまに悔しかったけどな・・・、俺の夢がまた一つ叶ったから。

 

・・・俺の夢はまだまだある。

みんなにはまだ言えへんけど、叶ったときにまた「俺 パート2。」として発表できたら最高やなって思う。

やからこんなとこで浸ってる場合じゃない。

今、今この瞬間も、また違う夢に向かって突き進まなな。

俺はまだまだ止まらへんよ。

夢がある限りね。

 

さっ、明日も頑張ろ!!

おやすみzzz