『ココロとカラダの笑顔』~白ハトグループ復興支援活動~「おなかとココロがほっこり温まる!復興支援活動」

『ココロとカラダの笑顔』 ~白ハトグループ復興支援活動~

おなかとココロがほっこり温まる!
復興支援活動ドキュメントリポート
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2011年4月 4日 (月)

同じ気持ち・・・・

白ハトグループでは、毎朝

TV回線を活用し、大阪本社・神戸工場・門真工場

宮崎工場・東京営業所・名古屋営業所の6拠点をつなげ

全体朝礼を行っています。

そこで・・・・

毎朝、現地の支援活動であったり、お店のOPEN報告

各工場や営業所からの報告を共有し、社長より日々変化する世の中の

動きに合わせた大切な話があります。

その中で・・・

白ハトグループさつまいも第一次工場である

宮崎工場の松本シニアマネージャーより

こんなお話がありました。

松本さんは、宮崎工場へ行く前まで、

神戸工場にて勤務されていて、ご自宅は神戸。

お子さんが二人いらっしゃいます。

息子さん(長男)は、現在、神戸の西ノ宮市役所に勤めていて

下水道局担当ということもあり、東北現地での被害状況の確認、調査と

復興支援のため、仙台へ行っていました。

仙台についてすぐに、被害の大きかった東松島市へ行き、

調査と復興支援を行っていたところ・・・・

偶然・・・・「らぽっぽのほっこり支援号」を見かけ、

「お父さんの働いている会社の

方達が、焼き芋を配っていたのを見た!」と連絡がありました。

松本さん「折角だから、焼き芋もらいにいったらよかったのに・・」と

ちょっと冗談めかしに言ったところ・・・

息子さん「避難されている被災者の方々がどんな気持ちか

分かるから、絶対に行けなかったよ」と。

そして・・・

お父さんが働いている会社も、ここで頑張っているを見て

「絶対にお父さんに負けへん!」と思った。と。。。。

偶然でも、被災地で自分の会社と息子さんが会い、そこで

息子さんが勇気をもらったことが本当に自分もこの仕事を

通して、息子さんに何か感じてもらったことが嬉しかったと

話してくれました。

16年前・・・・

松本さん一家も西ノ宮で、阪神大震災に遭いました。

息子さんは当時、小学校5年生。

家族で住んでいたマンションも震災遭い、みんな無事でしたが、マンションは

震災で住めなくなり・・・

息子さんをすぐに、松本さんの実家がある山口県に疎開させて

3ヶ月間の離れ離れの生活。

西ノ宮の近くにマンションを借りて、もとのマンションが復旧するまで

5年かかりました。

その辛い経験があったから、息子さんも東北の方々の気持ちが

痛いほど分かったんですね。

白ハトグループの仲間には、阪神大震災を経験した方々が沢山います。

だからそこ、遠く離れた、大阪、神戸、宮崎でも同じ気持ちで、

全員で復興支援し、自らの体験をもとに強く生きていく力と

助け合う、仲間であることを常に感じる毎日です。

朝礼後・・・松本さんと少し話をしました!

松本さんが今していること・・・

「阪神大震災を経験し、宮崎では新燃岳が噴火して被災、今回の東日本大震災も

経験し、また、自分自身も病気になり奇跡の復活!人生の中でいろんなことを

経験してきた。生きていくとは?を考えさせられる毎日。震災で経験したことで

本当に家族との絆や強く生きていく思い。を感じている。

今、俺にできることは宮崎工場の仲間に、いつ何が起きるか

分からないからそこ、心構えへもたせてるんやぁ!」と。。。。

そして・・・

「なかなか遠くて、すぐに手を差し伸べることが出来ないけど

宮崎で作る「さつまいも」に沢山の想いと愛情をかけて、立派なさつまいもを

作ること」と。。。

ちょっと・・・男前に。。。誇らしげに。。。話してくれました!